人事評価点数化の功罪

2014年05月31日

2014.5.31

 

人事評価制度の運用で頭を痛めている経営者や人事担当者は少なくないと思いますが、その根底には、見えないものを全て点数化して評価するというプロセス自体に問題を孕んでいる可能性があるかもしれません。
 
世の中の事象は、数字で表現できるものと、そうでないものに分けられますが、人間ほど多様な側面を持っているものは少なく、それを人事評価の点数という形で「見える化」しようとすると、なんとなく違和感のある結果になってしまうことがあるのは、「見える化」の過程で重要な要素が抜け落ちているからかもしれません。仮に全ての要素を漏れなく見極めたとしても、全体として妥当な評価点数となるかも保証の限りではありません。
 
人体で言えば、臓器や血液まで含めて目に見えるもの全てを使って組み立てても、現実に生きている人間にはならないように、人事評価の観点をきめ細かく設定して全ての要素を積み上げて評価しても、その人の働きぶりや貢献を適切に表す「数字」になるとは限らないということです。
 
そもそも数字は、平面的です。1点はあくまでも1点です。それ以上でもそれ以下でもありません。しかし、現実の人事評価の現場では、「この1点は重みがある1点で高く評価したい。」とか「同じ点数でも中身の濃さが異なる。」という見解がしばしば述べられます。
 
同じ点数でも奥行きがあるということです。そこで、1点刻みではなくて0.5点刻みにしようという話になります。それで多少状況が改善することもありますが、本質的な部分は依然として未解決のままです。点数の刻みを無限小にしたとしても、この問題は恐らく解決できないものでしょう。そこで、今度は評価項目をもっときめ細かくするという方向性がでてきます。そうすると今度は、項目が多すぎて、人間の物理的な能力では処理しきれなくなります。人事評価に携わる方には、この感覚には共感してもらえると思います。
 
この問題があるため、比較的小規模の組織では、いたずらに細かい点数付けや項目の詳細化をせずに、人間の眼を信頼し、全体感を見失わずに人事評価を行うことが適切ではないかと思います。社員一人一人の顔が見える規模の組織では、その人と成りも良く把握できており、普段の働きぶりや行動も見えていますので、細かい項目の点数の積み上げに頼らずとも、人事評価を適切に行うことも充分可能です。
 
一方、一定の組織規模を超えてくると、人事評価「作業」の効率化という観点が生じます。必ずしも普段の働く現場を直接観察できていない状況では、ある程度機械的に評価を処理する仕組みが求められるようになるからです。その最たる状況は、数千人規模の大企業の人事評価制度です。職種や組織階層毎にきめ細かく設定された評価項目ごとに点数配分が行われ、評価項目ごとの重要度により、基本点数に倍率を掛けたりもして、総合点100点満点などで計算します。
 
人事部としては、出来るだけ客観的でかつ頑張りがいのある仕組みを目指してこういった仕組みを作っているのですが、評価を行う当事者は、真剣に取り組んでいるとは言い難い状況が少なくないようです。
 
大手企業の社員にインタビューをすると、
 
「最初はまじめに評価に取り組んだが、結局、数字の辻褄合わせでしかない。」
「直観で感じた評価結果になるように、数字を逆算して評価している。」
「まじめにやると時間がかかり過ぎるので、適当にやる。」
「ボーナスの金額でいくらになるかを想定して部下の評価を決定する。」
 
という声が、圧倒的に多いのです。
 
こういう状況になると、何のために人事評価をしているのか分からなくなってきます。そもそも人事評価は、頑張った社員に対して会社が感謝を伝えて、ともに成長していくためのツールとも捉えられます。感謝のしるしの一つが、お金の面での処遇ということになりますが、心から温かい言葉をかける、一緒に食事をするなどの非金銭的な取り組みも重要になってきます。少し至らなかった社員に対しては、必要な課題を設定して、奮起を促し成長を見守るという愛情が求められます。こういったお金以外の面での働きかけを合わせて行うことが、一過性に終わりがちな金銭的な報酬よりもモチベーションや組織の生産性の向上には効果的と考えられます。
 
人事評価を点数化することは、主に金銭処遇の決定ルールと関連させるためとも言えますが、そのことが、本来もっと重要な評価を通じた「人材の成長支援機能」を機能不全にしているともいえるのです。一般的に高い点数の方が優秀であるという暗黙の前提があります。学校の試験も人事評価の点数もそうです。ところが、インドでは、低い点数の人の方が評価が高いということも有り得るそうです。
 
日本流の試験のテクニックとしては、難しい問題は後回しにして、簡単に得点できる問題を確実に得点するという受験テクニックがありますが、インドでこれをやった学生が、ひどく叱られたという話があります。総合点はそこそこだったそうですが、難しそうな論述問題を白紙で出したため、「お前は考える能力がないのか!!」とかなりひどく叱責されたということです。インドの学生は、回答が分からなくても、とにかく何か書くそうです。極端な話、数学の問題が分からなくても、その問題を見て感じたことや考えたことを答案用紙に書くことが、思考力のあることの証になるというのです。
 
ソチオリンピックではフィギュアスケートの浅田選手が、ショートプログラムの失敗の翌日、トリプルアクセルを成功させ感動を呼びましたが、上手くいったフリープログラムでも、世間の感動の渦とは裏腹に、点数はもっと伸びていてもおかしくないという専門家の話がありました。他に誰も真似できない女子のトリプルアクセルへ挑戦して成功しても点数がそれほど伸びないことが分かっていてながら挑戦し続けた浅田選手のスピリットは称賛に値すると思います。
 
しかし、そういったチャレンジ精神の芽を摘んでしまうような点数システムになっているという事実は看過できません。リスクが高い技に挑戦して成功したとしても、それほど点数がもらえないというのであれば、よほどの信念がない限り、普通は挑戦する気持ちが萎えてしまいます。そうすると、競技全体の進歩が停滞します。会社組織で言えば、イノベーションが生まれにくい、守りの企業文化が形成されることに繋がります。その極端な事例が、減点主義と言われる銀行のような業界です。ただし、全ての銀行がそういうわけではないことは付記しておきます。
 
人事評価から少し離れますが、かつての日本企業は、業績が悪化し賃金が払えなくなった際は、経営者や幹部社員の奥さんが協力して社員の三度の食事を賄い、現在のように希望退職や解雇することなく、文字通り社員に食べさせて不況を乗り切ったという話が少なくなかったようです。
 
巨大化した現在の大企業では現実的な話ではないかもしれませんが、こういった創業者的な精神をもって、命を懸けて経営していたかつての日本人は、いまの企業経営や日本の実情を見て何というだろうかと、ふと思いを馳せます。「経営をなめてるのか!」と一喝されるような気もしますが、やさしさと厳しさをもって、社員の成長を願い、会社と社会の発展に自律的に貢献してくれる社員を一人でも多く育てることを、一社でも多くの会社が取り組めば、世の中もう少し明るくなるのではないでしょうか?
 
評価の話に戻しますと、目に見えるお金の処遇へ反映させるためのツールとしてのみでなく、人事評価を通じた人材育成を意識的に継続していくことが、これからの日本企業を強くする一助になるという想いを込めてこの領域での支援を継続していきたいと思います。