ホーム > 解雇規制の見直し論に思う

解雇規制の見直し論に思う

2014.1.5
 

終身雇用、年功序列、企業内組合という日本型経営の三種の神器は相当崩れてきています。かつて一世を風靡した日本を代表する企業が、希望退職の実施を発表することにも、もはや驚かなくなりました。労働組合の組成率も年々低下し、いまや20%を切っている状況です。
 
グローバル競争を勝ち抜くためには、人件費を含むコスト構造の柔軟性を高める必要があることは自明です。その実行手段として、希望退職を実施する企業が増えていることは、企業の生き残りや再生を優先するという観点からは、止むを得ない面があると思います。
 
しかしながら、釈然としない部分もあります。最高益を更新しながら、事業の再編のために希望退職を実施する企業の存在や、解雇に歯止めをかけている現状の見直しを求める経済界の姿勢です。
 
競争に勝ち、利益を出して株主に還元することが至上命題であると考える経営者にとっては、社員をコストとしか捉えていないようにも見えます。恐らく個人としては、心に痛みを感じていないことはないと思いますが、他にやり様がないというのが実際のところなのでしょう。
 
職業柄、過去に希望退職を実施した少なからぬ会社の人事部長さんと面識がありますが、現場を預かる総責任者として、希望退職の個人面談を含む全プロセスが終了した段階で、自らも退職をされるケースが少なくありません。人としてのけじめをつけるということなのでしょう。
 
一方、社員の雇用に手をつける決定をしたトップを含む経営陣が、自主的に報酬を返上したり、明確な形でその責任を取ることは、多いとは言えない状況です。役員報酬の多少の減額などはしますが、それで良しとしている場合が多いように思います。
 
バブルの頃は、企業の社会的責任(CSR)の実践が声高に叫ばれたものですが、近ごろはめっきり聞かなくなりましたね。一度雇用した社員を責任を持って育成し、社会で通じる力を身につけさせることは、会社の責任ではないかと思います。こういったことを青臭いとか、それでは生き残れないという声を聞きますが、そういう会社が生き残る未来は、殺伐としていて、あまり幸福そうなイメージが湧いてきません。
 
現在、強固な規制がかけられている解雇について、会社の裁量で柔軟に社員の解雇ができるようになると、労使の信頼関係は一層低下することは間違いありません。結果として利益が上がったとしても、会社が利益を生む機械のような存在に思えてきます。

また、腕の良くない経営者でも、人件費を下げることで短期的には利益を確保できる部分もあるので、そういった経営者が評価されるというのも健全な状況ではないと思います。現在、すでにかなりこういった状況になっていますが、それが普通だとか、そうしないと生き残れないので仕方がないという思考は、とても危険ではないかと個人的に感じています。
 
どうしてもやむを得ず雇用に手を付けざるを得ない場合は、経営者は、役員報酬を返上し、私財も含めて、相応の対応をするべきではないかと思います。経営の舵取りを誤り、社員を含めて会社を窮地に立たせた責任としては、その程度の代償は必要ではないかと思います。

利益を出さなければ、事業を継続できないので利益は大事です。しかし、そのプロセスが適切でなければ、尊敬される会社にはなれません。人事の世界でも、目標管理の達成度を評価するのと同時に、その達成プロセスや、もっと長期的な視点から、短期的な結果には必ずしも結びつかない行動プロセスも含めて評価の対象とすることがあります。それが長い目で見れば、結果として、持続的に企業の業績を支える力になるという考え方が背景にあります。
 
総論としては、日本の大企業の経営者は、短期的な視点に偏っているように見えます。立派な経営者もいますが、解雇規制の見直しを要請している経済界全体としては、経営の質が高くないことを示しているように思えます。
 
日本には、人を大切にして、組織の総合力で勝負するという日本に合ったやり方があります。バブル崩壊とともに日本駅経営も崩壊したということで、全てを捨て去る必要はありません。解雇規制を欧米諸国並みに緩めるというのは、正しい方向性とは思えません。
 
だからと言って、社員の機嫌をとることが必要なのではなく、責任を持って社員と向き合うということが求められていると思います。要は、経営者の真剣さが不足しているように思えるのが、一番の問題ではないかと思います。今日は少し、私見を書きました。このトピックは、今後の日本の方向性にも関わる問題なので、回を改めて、また私見を掘り下げて書きたいと思います。


クライアント企業の声

過去の記事