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やらされ感の結末

2014.1.9
 

仕事をする上でモチベーションの向上を図ることは、業務の生産性の向上と社員の成長の双方の観点でとても重要です。
 
経営者のビジョンに心から共感したり、上司が親身になって部下の成長を願って日々接しているような場合は、本人の使命感や、やる気のスイッチがオンになって、周りがいちいち指示出しをしなくても自律的に仕事をどんどんこなしていくものです。
 
その結果、質の良い仕事を達成することができたり、顧客に感謝されたり、自分自身の成長が実感できたりすることを通じて、さらに仕事が面白くなって自律的にさらなる工夫や改善を重ね、継続的に仕事の質の向上と自身の成長に繋がる善循環が生まれます。
 
モチベーションがあまり刺激されない環境では、こういった善循環が生じることは望めません。淡々と決められた職務をこなすということになりがちです。別の言い方をすれば、仕事そのものに対するやり甲斐や仕事の価値を明確に実感できない状況で、働くことの目的が給料を稼ぐことのみになりやすい状況といえます。
 
社員のモチベーションを引き出す仕掛けとしては、内発的要因と外発的要因に分けて考えることができます。内発的要因は、自分自身の内側から湧き出てくる純粋なやる気であって、金銭的な見返りをあまり求めないという特性があります。
 
外発的要因は、いわゆる「鼻の先のにんじん」的なもので、金銭的な処遇や物質的なもの・ことであることが一般的です。内発的要因に突き動かされる時は、モチベーションの源泉が尽きることはない傾向が強く、外発的要因で動く場合は、「にんじん」の魅力が時間の経過とともに落ちてくる傾向があり、モチベーションを維持するために、さらに強力な「にんじん」を与え続けることが必要になりやすいといえます。
 
いずれの要因にしても、モチベーションを引き出すという意味では、質は違えど効果は期待できますので、意識的に上手く活用していくことが、賢明な人材マネジメントと思います。
 
ところで、モチベーションが漲っているのと正反対の状態が、「やらされ感」です。上司の言動に一貫性が欠けていたり、支持された仕事の意味が曖昧であるような場合は、モチベーションは上がりません。
 
「この仕事は何のためにやるのですか?」という疑問をぶつけても、「それが上の命令だ。」とか、「とにかくやってくれ。」というやり取りを実際に体験したり、見聞きした人は少なくないのではないかと思います。あるいは、パソコンの苦手な上司のために、手書きの原稿を入力したり、表計算をしたりという上司の支援業務もやる気を萎えさせますね。
 
こういった事象が継続的に複数積み重なってくると、次第に「やらされ感」を感じてきます。この感覚にとらわれた社員が組織に蔓延すると大変です。組織全体が賃貸ムードになり、ただ惰性で仕事をうまくこなすことだけを考えるようになります。大企業ほど、こういった状態になっている組織が多いと思います。
 
会社組織の話ではありませんが、やらされ感に関するエピソードがあります。第二次世界大戦後シベリアに抑留された日本人の話です。
 
極寒の中で強制労働をさせられた多くの日本人が命を落としたということですが、ある人は生き残ったそうです。なぜ生き残れたのかを問うと、次のように答えたそうです。
 
「来る日も来る日も、建物を建てるためレンガ積みをさせられました。嫌で嫌でしょうがありませんでした。仲間は、寒さと飢えと絶望で死んでいきました。」
 
「だけど、ついにこの建物に住む人たちのために、暖かい家を創ろうといういう想いで、レンガを積むようになりました。すると、遣り甲斐がでてきたんです。」
 
シベリアの強制労働の中にあって、やり甲斐を見出した人は生き残って生還し、やらされ感と絶望の感情に支配された多くの人は、残念ながら生きて帰ることがなかったという話は、現在に生きる私達にも、あるべき人材マネジメントについて示唆に富んだエピソードであるように思います。
 
組織に蔓延するやらされ感は死に至る病とも言えるのではないかと思います。実際、そういうタイトルの組織風土改革に関する本も出版されていますので、ご興味のある方は、アマゾンなどで探されてみてはいかがでしょうか?著者は、前職の先輩人事コンサルタントです。ちなみに、シベリア強制労働の話は、この本には載っておりません。


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