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理研の組織チェック機能

2014.4.13

 

この記事を書いている2014年4月13日現在、STAP細胞をめぐる報道が連日なされていますが、真相は依然として未解明のままです。このニュースレターでは科学的な真相の究明ではなく、組織・人事マネジメントの観点から、理研の不祥事(?)に関して、思うところをまとめてみたいと思います。
 
STAP細胞の論文が、英科学誌のネイチャーに掲載されたのは、今年の1月です。その後の報道をみると、理研は、若手研究者の抜擢と自由に研究をさせる裁量権の付与ということでは、ユニークな存在だったようです。STAP細胞論文の不備が指摘される前は、こうした組織管理面の工夫が有能な若手研究者の自由な発想を引出し、画期的な発見につながったという論調でした。
 
ところが、その後はご存知の通り、論文に使用された画像の意図的と思われる修正跡や過去の論文からの使い回し、また、公開されたプロセスではSTAP細胞が再現できないなど、不正の可能性が指摘されています。最終的に不正であったとしても、そうでなかったとしても、正式に発表された論文としては、客観的な目線に耐えうるだけの正確性を含めた「品質」が備わっていなかったということに尽きると思います。
 
企業活動においても品質の維持は極めて重要です。品質を維持するために、企業は製品を出荷する前に、複数の試験、検品の段階を通じて、不良品が顧客に届く前に対処するプロセスを整えています。理研のでも、ほかの複数の研究者による論文内容のレビューが、ルールとして義務付けられていたという報道がありました。しかし、現在の状況をみると、実質的に組織としてのチェック体制が機能していなかったと言わざるを得ないでしょう。
 
ある報道では、「極めて専門的な論文のレビューは、同じ研究者であっても研究領域が異なれば困難」というような研究者のコメントが出ていました。しかし、現在の状況をみると、高度な研究内容に関する科学的解釈等の問題以前に、研究に関する基本プロセスの部分に不備があるという感じがします。
 
画像の切り貼りや修正跡などは、特に専門家でなくても、事前にチェック体制が機能していれば、確認できたはずの問題です。だとすると、理研のチェック体制は、研究内容の高度さのためにチェックできなかったのではなく、実質的に体制として機能していなかった可能性が高いといえます。
 
研究者に限らずビジネスの世界では、製品やサービスを世の中や顧客に出す際に、事前チェックを行うことが普通です。その際のチェックの観点は、(1) 専門的な内容に間違いがないか、(2) 論理構成が適切か、(3) 分析手法や製造方法は、特許などを侵害していないか、(4) 品質基準をクリアしているか、(5) ケアレスミスはないか、などの観点から、社内の上司やプロジェクトリーダー、同僚などのチェックを受けます。このうち、(5)のケアレスミスはないか、という点については、プロフェッショナル人材である研究者などにさせると本業の時間の使い方としては、生産的ではないため、アシスタント的な人たちにレビューをしてもらうこともあります。
 
専門家ではない人たちに内容を確認してもらうことで、専門家では見落としがちな、顧客目線から見た時の分かりにくさなどの指摘もしてくれるからです。また、誤字脱字や参照箇所が違うなど、細かいミスも丁寧に拾ってくれます。
 
専門家同士の事前確認プロセスをピアレビュー、プロフェッショナルレビューと呼ぶのに対して、こういった専門家以外の人たちによるレビューをテクニカルレビューと呼んで区別することも有ります。理研のSTAP細胞の場合は、テクニカルレビューをしっかりやっていれば、事前に問題を発見できたのではないかと思います。
 
同様に、STAP細胞の論文を掲載した科学誌ネイチャーも、論文を掲載する前に事前の論文審査があるといいますが、チェック機能が充分に働いていなかったのかもしれません。
 
なぜそんなことが起こるのかという疑問が出てきますが、企業組織の中でも似たような現象は良く目にします。大企業の稟議書などはその典型で、組織階層や関連部門毎に何人もの承認者の欄があって、本当に全員が内容をしっかり見ていたら、現実的でない時間がかかってしまい、ビジネスのスピードについていけなくなるということがあります。「他の人も承認しているから、大丈夫だろう。」という他人任せの判断で判子を押した経験がある人も、結構いるかもしれません。
 
稟議書の仕組み自体をどうするかということもありますが、まずは自己責任・自己判断というのが原則のはずですので、そこから逸脱する行為が起こらないような組織風土を形成していくことが極めて重要になってきます。
 
自己責任ということは、研究者だけの話ではなく、ビジネスパーソン一般に当てはまる話です。STAP細胞騒動では、科学者として適切でない手法ということが他の科学者から指摘されていますが、普通のビジネスパーソンだったら許されるかというとそうではなく、企業社会で組織の構成員が何かの発表をするときに、出典を含めて客観的に説明可能な資料を作成できていなければ、評価されないということで、全く同じことだと思います。
 
そういう意味では、組織によるチェック機能を改めて確認することはもちろん大事ですが、同時に、一人一人が自立したプロフェッショナル人材として、自己責任のもと活動を行っていけるようにするために何をする必要があるのか、ということを改めて考えさせられた事件(?)でもありました。
 
求める人材像を定義している会社は結構あるかと思いますが、自律志向、自己判断、自己責任などのプロフェッショナル人材という観点を含めている会社では、今回の件を機に、改めて自社のプロ人材度やプロ人材育成機能がどうなっているか検証されてみてはいかがでしょうか?


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